瞑想体験談

ただ生かされているだけで、何の不足もない

ヨグマタジのディクシャを拝受するまでは、幸せとは「何かを得られる時に感じるもの」だと思ってました。

人に褒めてもらいたくて虚勢を張ったり、得な役回りをもらうために無理をしたり、何かを得るために、姑息な駆け引きなどをしてエネルギーを使っていました。

それが叶うと、一瞬燃え上がる高揚感を感じましたが、すぐに何か虚しさのような不安が押し寄せてきて、落ち着かなくなってました。

かといって、何かに失敗すると、今度は怒りが込み上げてきて、すべてを壊してしまいたくなる衝動にかられたりしていました。

当時の私は、「自分の思い通りになる状態」が、幸せでいられる条件だと思い込んでいたのでしょう。

仕事でも、自分の意見が通ると気持ち良くなり、子供にも自分の理想を押し付け、いうことをきかないと怒り、無理やりコントロールしているような状態でした。

いずれにしても、何を得ようが、思い通りになろうが、その後すぐに虚しさや痛み、孤独感など非常にネガティブな感情に苛まれることの繰り返しでした。

今思うと、私の中には深い淋しさがあり、人からの承認を得るために、何かを成功させて目立とうとしたり、誰かをコントロールして、振り向いてもらおうとしていたのだと思います。

しかし、ヨグマタジのディクシャを拝受いただき、修行をさせていただいてからは、全く変わりました。

特に合宿を経験してからは、外側から何かを獲得したり、周りから承認されたり、人をコントロールしなくても、

今こうして存在している、当たり前の事が当たり前に成り立っている、それだけで充分というか、とても有難いことなんだと気づいたのです。

失うことへの恐怖、自分という存在そのものへの不安。

これらすべての心配が、ヨグマタジの恩恵によって解放された時、「あるがままで何も不足はない、ただ生かされていることが幸せなのだ」と気づいたのです。

それからは、何も求めなくても、必要なものは必要な時に、必要なだけ与えられるという安心感があるので、いつも幸せでいられるようになりました。

人から承認されなくても、どんな私でも、ヨグマタジ、そして神様がいつも愛してくださる。

そして、人をコントロールするよりも、人が自由に伸び伸び行動するほうが、お互いに楽しいし、結果も良くなることに気づきました。

さらには、何かを手にすることよりも、何かを与えることの方が、何倍も何万倍も、幸せになれるということもわかってきました。

エゴや欲望を満たして得られる幸せは一時的で、その影で誰かが傷つくこともありますが、無償の愛を捧げる幸せは、決して無くならず、全ての人を大きな愛で満たしていくのだと思います。

何かを受け取るだけのサイクルと、自分から捧げていくサイクルでは、まったく質も次元も違う幸せになってしまうのですね。

ヨグマタジの恩恵によって慈愛の生き方、捧げる生き方、あるがままの幸せ、そういうありえないステージへと進ませていただきました。

今後とも、もっともっと高いレベルに進化していけますよう、精進して参ります。

ヨグマタジ、本当にありがとうございます。

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