講話録

マスターに導かれるのはずるいこと?

speaker

高い師について修行をするということについて、おうかがいしたいのですが。

修行を積んだ先生に指導していただいたり、あるいは自分を引き上げていただくというのは、例えば100段ある階段を、1歩1歩自分の足で進まなければいけないところを、ポンと襟元をつかまえて、運んでいただくようなイメージがあって。

それは「ずるい」と言ったらいけないのだと思うのですが、そういうことはないのでしょうか?

speaker

本当に苦しんでいるので、見殺しにできないっていうか。「ああ、苦しんでるな」って、見ているっていうのが忍びないので。

本当は自分たちで、暗黒の中をずっと生きていかなくちゃならないし、そこから抜け出すすべがない。

いくらお金があって幸せでも、本当の自分っていうものを知らないし、苦しんでいる人も、もちろん本当の自分っていうものを知らないので、本当の自分の、光につなげてあげる。

そうでないと、暗闇の中をこうやって歩いていったら、ものすごく時間がかかる。

みんないつも、暗闇のほうを、暗闇ばかり見ている。文句を言って、自分を信じないし、人も信じないし、何やってもうまくいかない。

だから光がこちらにありますよって。こちらにいらっしゃい、ということで、こちらの方向を示してあげたら。

暗闇の中に、酸素の穴があって、「ああ、生きられる」っていう希望を見出してあげて、それを浴び続ければいいのだって。

光につなげて、あなたはしっかり信頼して、あなたのいろいろなことを悔い改めていったら、もっともっと、全体が光になれるんですよって。

本当にそういう空隙を与えることによって、自分の苦しいところだと、アーッていうことで、人の話も聞けないでしょうし。

聞く耳を持つと、いろいろ余裕をもって見ることができるわけです。ああ、希望があるのだっていうことで、一歩一歩自信をもって歩むことができる。

もちろんその分、たとえばもっともっと愛を皆に伝えていくとか、そういった苦労っていうか、苦労じゃないんですけれど、そういった動きをしていったら、もっと世の中が、本当に皆が幸せになっていくと思うのです。

でもわかっちゃいるけどやめられない。本当に変容するっていうすべがない。

ですからそのきっかけを与えて、もっともっとすばらしい人に早くなったほうがいいと思うのです。

よろしいですか。

speaker

ありがとうございました。

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