内側の見えないところが見えてくることが気づきなのです。
心が浄まり、内側が目覚めていくと、いつも外の感覚を通して心が反応して動いていることに気づきはじめます。人は、自分がどういう人間であるか、よくはわかりません。
ところが、「あっ、自分はこんなことを考えている」とか、「おや、そんなことにとまどっている自分がいる」とか、「怒りが湧いてきた」とか、「悲しくなってきた」とか、さまざまなことに執着したり、リアクションしているのだと気づけば、それは大きな進化なのです。
無知なときに、何かをして、結果としてたいへんなことをやってしまったと気づくのが、さらにすすんで、結局、似たようなカルマを繰り返しているとかに気づき、自分の行動を正しくとらえることができるようになったら、進化をとげているということなのです
あなたは過ちを繰り返しているうちに、同じ過ちを犯さないように、自分で気づくことを通して解放されていく、そうした学びをしているわけです。日常的にも、そういう気づきをしていくことが大切なのですが、たいていの場合、そのとき行動していることに夢中になっていますし、嫌なことを言われたり、気にかかることがあると、不安や疑いの思いをいつまでも引きずっていて、そのことが頭から離れません。
ふだんから一瞬一瞬、自分のことを見つめられればいいのですが、そのとき与えられたことに一生懸命になっていて、他人の言葉に付和雷同などして、ほとんどの場合、無意識に行動しているのです。
よく考えて行動しているのか、考えてから行動するのか、行動してから考えるのか、考えながら行動するのか、それはみな考えるということなのですけれども、気づきながら行動するというのは、また違うレベルのものです。
気づきというのは、さらに次元が高いものです。さらにその気づくにもレベルがあります。ヒマラヤ秘教の修行を進め、ほんとうに頭のなかが空っぽになったときに、自然に、すべてが平等に見えるものです。言い換えれば、ただ見ているという状況が自然に起きるのです。瞑想で執着を取り除いて深いレベルに入っていくと、ただ見ているという最高の覚醒(気づき)、空の状態が訪れるのです。
(『ヒマラヤ聖者のいまを生きる知恵』より)